「戦争の記憶、その2『今でも、茶封筒を切ってメモに使う…』」 |
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みなさまこんにちは、お元気ですか…。昨日、やはりこちら(東京葛飾)は気温もかなり下がり久しぶりに一息ついた日になりました。私は自転車で5~6分のところですが、駅まで用事で3回も行く事になりましたので大いに助かりました。 今から10年余り前の事ですが、私とNさんが戦争、そして物資のない戦後の話をしていると陽気な次女は二人の真ん中にいつも「ポンッ」とテッシュペーパーの箱を投げるように置きます。それは二人が泣き始めるとテッシュペーパーが箱でないと間に合わなくなるからです。 そして「始まりましたッママとおばさんの戦争の悲しい物語が…」と。(Nさんは私よりは年上で当時生活雑貨店をしていた時の店員さんです、30年も勤務して頂き子供たちのおむつまで取りかえて下さった大恩ある人です。) 私が「漢字の勉強をする時本当に紙が無くてね…、新聞紙の周りの白いところをよく使って書いたわ…」と、「まだ新聞を取っている家はいい方だったのよ…」と言います。 するとNさんは「ママの悩みは私とは比べ物にならないずっといいほうよ…」と、Nさんは疎開先の青森で幼い5人の子供を残して父親が病死したそうです。母親はその子供達を育てる為に近くの料亭で下働きとして仕事をしていました。Nさんもまだ小学生だったと思いますがおっぱいの時間になると1歳の弟を背負い母親の仕事先の勝手口から会いに行っていたそうです。 すると女中頭の様な人が帰りに「これ、箸をつけてないから帰ったら食べな…」と言ってきょうぎ(食品を包む薄い木製のもの)に包みご飯や、てんぷら、煮物等をくれたそうです、それがどんなに助かったかと…。そんな時代でも軍の人が出入りするところは贅沢なものがあったようです…。 その話を聞く度に涙が止まらなくなるのです…、長女だったNさんは人には言えぬ苦労を味わってきた事でしょう…。私はその当時の紙が無かった事がよほど骨身にしみているようで他のものは「ポンポン」とわりと平気で処分出来るのに、今でも使った茶封筒までも捨てられず、切ってメモに使っています。
では、又来週…、みなさま今日もお元気で! 吉村道子
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