「戦争の記憶、その1『やっぱり親のところがいい…』」 |
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みなさまこんにちは、お元気ですか…。珍しく今、こちらは雨が少し強く降っています、いいお湿りとなり気温が少しでも下がるといいですが…。 今年ももうすぐ終戦記念日(8月15日)です…その日が近づくとテレビでもその番組を特集したり、その時代に生きた人たちが一気に悲惨な戦争の記憶をたどります。 終戦末期の頃私は当時静岡県富士市(旧吉原)に住んでいました、あの富士山のふもとです。まだ幼稚園に通っている頃でした、いまでも記憶に残っている事は飛行機がその富士山を目指して「ブーン、ブーン」と頭上を飛ぶのです。1機2機の時もありましたが、何機も列をなしてくる時は子供心にもいい知れぬ恐怖感がいっぱいでした…。それは駿河湾から富士山を目指してきて方向を確認してそれから目的地に向かう…と聞かされていました。 自宅から富士山のふもとに近いところに母の叔母の家がありました、そこは地形からして防空壕が作りやすかったのでしょう10人以上は入れるものが作ってありました。 警戒警報が出されると母は「危ないから叔母さんの家に行っていな…」と私に言いその防空壕へ行かせます。私は防空頭巾をかぶり一人で叔母の家に向かいますが、途中の川を渡るか渡らないかの時いつも飛行機が何機も頭上を飛び「ウー、ウー」という、けたたましい警戒警報が鳴り響きます。 すると私は夢中で自宅に戻っていました、母は「もう向こうへ着いたと思っていたのに…戻ってきたの?」といいます。私は「うん、うちの方が近かったから…」と、今思うとそれはもう叔母の家に8割は行っていたのです。その警戒警報の怖かった事は今でも忘れられません…そして親のそばにいたいという本能が働いたのだと思います。 そして夜は電球もつけられないのです、明かりがもれてそれが敵機にわかってしまうからです…。家族(11人)が多かった私の家は勿論履物も多くそれを確かめる為に電球のまわりにかけられた黒い布からもれる明かりを頼りにそれぞれの履物を確かめていました。
それでは又明日…、みなさま今日もお元気で! 吉村道子
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